ユリ・ヨシムラ・ガニオン(プロデューサー)
企画・原案・共同脚本
Yuri Yoshimura Gagnon
京都在住の70年代に、大阪万博時に来日したカナダ人クロード・ガニオンと共に映画製作を開始。初の長編映画「KEIKOケイコ」(78年)は、自主製作映画としては異例の大ヒットを記録、日本映画監督協会から外国人初の新人監督賞を得るなど、日本映画界に新しい風を吹き込む。その後カナダ・モントリオールに移住、映画会社アスカフィルムを設立。80年代、先天的に下半身のない障害を持った男の子が主人公の感動作「ケニー」は、モントリオール世界映画祭にて審査員全員一致のグランプリを獲得、各国の映画祭にて熱く迎えられ、世界中に広まる。日本でも文部省特選を受け大ヒットする。それ以後もガニオン作品のみならず、ジル・カール監督などカナダの著名監督、また新人監督の映画製作、配給に尽力し、フランスとの共同製作を含め計23作品を製作、100本以上をカナダ国内にて配給、また世界セールスしている。
2005年のプロデュース作である『KAMATAKI-窯焚-』は、第29回モントリオール世界映画祭で監督賞、観客賞、批評家賞を初めとする史上最多の5冠を達成し、日本でも2008年2月より東京をはじめ全国で上映される。
現在製作中の日加共同製作の宮平貴子監督作品「アンを探して」は『赤毛のアン』出版100周年を記念して、またカナダ・日本外交樹立80周年を今年に控えた意欲作。カナダ政府、ケベク州政府、また地元プリンスエドワード州政府の映画出資基金などを受け、また日本でも文化庁の助成金受領が決定した。
さらに、日本とカナダ両国間政府による正式共同製作条約成立のための交渉、調印実現に協力。また、東京においてカナダ映画祭、ケベック映画週間等をカナダ大使館、ケベック州政府東京事務所と共同で数回に渡って開催、そして今や常識となった地方都市の「フィルムコミッション」システムが検討された際は、カナダ大使館主宰の催しにてパネラーとして北米の映画製作の現状を紹介するなど日本とカナダ映画界の架け橋となる。